第24話  バラ色の人生 ②

 バンコクでやる事は考えてあった、今度こそ儲かる、始めて直ぐに、かなりのお金が入る様になった、時間が不規則になり、寝る暇もないぐらいな日もある、いやーァ、実に儲かった、しかしこれもある事があってやめてしまった、この時の事は、今あまり書きたくない、決して、悪い事ではない、今もこの職業はある、皆さん誰でもご存知の職業だ、ただ、今では昔の様には簡単ではないと思う。

 去年(1999年)、中国に行って来た、あの国では今、私がやった事と同じようなやり方をしている様に思えた、ほぼ間違いないだろう、長続きはしないだろうから、早く正常に戻してほしい。

 この時期本当にこんなにお金が簡単に稼げていいのだろうか?というぐらい稼げた以前Hのつく日本の会社で働いていた時の十数倍の収入があった、遣っても遣っても(とは言っても根が乞食だからたいした金額は遣えない)銀行に預金が増えていく、こんな生活も1年も経たないでやめてしまった、24~25歳だった頃なのでそのお金を元に何か真っ当な事でも始めていれば成功していたかも知れない、失敗しても元に戻るだけの話だ。
 家でも車でもかなりハイクラスな物が買えるぐらいの現金を持っていた,が何一つ買わなかった、帰国するまでの数年間暇潰し(申し訳ない)に日系企業で働いた事もあったが大半は毎日が日曜日という生活で気が向くと周辺諸国を旅して回った。


1976年5月帰国
 今、私は日本で働いている、それなりに生活は成り立っている、が何か物足りない、当時の私には波があった、ある時には乞食をしある時にはお金持ちになっていた、その繰り返しの為にそれなりの緊張感があったのだろう、今はどうだ?緊張感のかけらもないそれはそれで幸せだろう、明日の食べ物の事も寝る所も大した心配事もない、このまま年金でも貰って(貰えるかな?)人生にピリオドを打てばまあまあの人生かも知れない。

 それでいいのか?

 当時の私なら躊躇はしない、若かったしやり直しが出来た、今の私にはやり直す体力も気力もないだろう、もしかしたらバンコクの安宿の壁の落書きにあった「豊かな青春、惨めな老後」のモデルになりかねない、たいして豊かな青春でもなかったような気がするので「惨めな青春、悲惨な老後」と書き直されるかも知れない。
 当時はお金などなくてもどうにかなるさなどとゾッとするぐらい能天気でやってこれたが、若さ+体力+気力があったからで、今の私には気力だけは多少あるかもしれないが、あとは全くない。

 しかし、本気で「今の生活」にピリオドを打とうと思っている、優雅な老後は望まない、どうせこのままいっても望めないのは判っている(日本政府がプレゼントしてくれるならしかたなく受け取るが)、かといってあまり悲惨なのも困る、何が優雅で何が悲惨かは個人で違うだろうからこれは全く私自身の基準で考えればよい事で他人の意見は参考にしかならない、では「今の生活」にピリオドを打った後どうすればいいのだろうか?基本的にはもう働きたくない、働きたくとももうたいした働き口はないだろう、出来れば20代の大半を過ごした東南アジアでのんびりとしていたい、定年後もしくは定年前に会社を辞め海外で生活している人達のHPを見ると羨ましい、特に定年数年前に会社を辞めている人など羨ましくてしょうがない、生活力もそうだが、辞めると言う勇気が羨ましくてしょうがないのだ、会社の倒産、解雇ならば受け入れる用意はあるが自分からと言うのはなかなか容易ではない。

 幸か不幸か(幸だろう)倒産はしそうにない解雇にもなりそうにない早期退職制度もなさそうだ、やはり自分で終止符を打たねばならないだろう、今まであわやという時期が2度程あった様に思う 、今度そのような事があったらはたして乗り越えられるだろうか?

2002年2月

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