第3話 下船

 シンガポールはさすがに自由港だと思った。横浜とは船の数が違う。実際にどうだかは知らないが、そう感じた。いよいよここで下船しなければならない。下船の手続き、入国の手続きを済ませ、バッグを肩に下船する。たいした期間船に乗っていないのに地面が揺れているような気がする。もうこれで船酔いしなくてすむ、帰りはいつになるか判らないが台風シーズンはやめよう。船内で仕入れた情報により、チャイニーズYMCAに行く。以後シンガポールではここが定宿となった。
 旅行中何度シンガポールを訪れたのだろうか?かなり頻繁に訪れているはずであるが、たいして思い出になっている事はない。それだけ私にとって面白くもない街なのだろう。しかし当時の写真に観光地も写っているところを見ると、観光もしていたらしい(ひとごとのようだが)、その後バンコックを目指して北上する。

「オピウムを吸ったことがあるか?」

 ジョホールの外れだったかどこかの海岸だったかぶらぶら歩いていた。日は既に水平線にかかろうとしている。空は真っ赤に染まって椰子の木が影絵のように見える。南国の絵葉書みたいだ、今夜の寝床を確保しなければと思いながら、しばらく夕陽が海に落ちていくのを眺めていた。
 話し声ではっと我に返った、背後に5,6人の人がいる。よく見ると皆私より若そうだ。どこから来てどこへ行くんだ、おきまりの会話が始まる。泊まるところがない?それなら俺たちの所へ来ればいい、中で一番偉そうにしていたやつが言った、これから晩飯だからな。それを合図に我々は立ち上がり、私は彼らの後に就いて行った。 彼らはなんだら工業高校の生徒達で、寄宿舎に住んでいるとの事だったが、連れて行かれた所はとてもそうとは思えない所であった。が、そんなことはどうでもいい、要は晩飯が食べられて寝られればよい。
 晩飯はしごく簡単、皿に魚の缶詰を開けただけであとはそれぞれの皿にご飯、でおしまい、手づかみで食べる。当時はあまり馴れていなかったのでポロポロこぼす、ずいぶん笑われてしまった。
 晩飯の片付けが終わるともうやることもない、薄暗い裸電球の下でとりとめのない話をする、姿の見えなかったリーダーらしきやつが入って来て「オピウム」を吸ったことがあるか?と言う。訊いてくる言葉は判るんだが、「オピウム」と言うのが何の事だか判らない。とりあえず「ない」と答えると、それでは吸おうということになった。
 始めは何だか判らなかった。タバコの方がクラクラとくる、そう思っているうち周りが少し明るくなったような気がした、生徒達の声がうわづって聞こえる、うっ、また船に乗っているようだ、そのまま闇の中に引き込まれてしまった。

 翌朝、これまでになく実に爽快な気分で目覚めたことを覚えている。そこで朝食を食べたのか、どの様な状況でそこを出発したのかは全く覚えていないのに、だ。それまで一人で気ままにブラブラしていたとはいえ、慣れない外国で相当に神経が参っていたのだろう、知らぬうちにためていた疲れがすっと洗い流されたようだった。工業高校の生徒達ありがとう!だいぶしばらくしてから、「オピウム」とは阿片のことだと知った。こうして初めて麻薬を体験したのであった。

 その後、バンコクで会った中国人とその話になった事がある。彼は「阿片」を毎日のように吸うと言った。だけど麻薬をやると身体がボロボロになって痩せこけて、と言うと、貧乏人が生活苦を忘れる為にやるからいけない、お金は全て麻薬に注ぎ込んで食べる金がないからいけないのだ、オレみたいに十分な金を持っていれば大丈夫さ、酒だって同じだろう、ほどほどならいいのさ、だけど工業製品はいけない、LSDとかは、と付け加えた。きっと彼が吸う阿片は無農薬栽培なんだろうな、農薬は身体に悪いとか言って、そんな事を考えていたら今度家に来ないかと誘われた。彼の言った事を証明しているような彼のちょっと出っ張りかけたお腹を見ながら、私は丁重にお断りした。

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