第4話 インドへ

 シンガポールからマレー半島を北上しバンコックに来たが、観光には大して興味のない私にとってはヒマな毎日を過ごすのが苦痛になっていた。街をブラつけば、それなりに興味を引かれるものがあり時間を潰す事は出来たが、何か物足りない。日本を出て数週間も過ぎるとそれなりに異国の地の生活にも慣れてくる、何か刺激が欲しい、半年ぐらいは帰らないと言って出た日本には帰れない、お金はまだ十分ある、そうだインドに行ってみよう、決まると早かった。すぐに船会社に行き、帰りの船の切符シンガポール→横浜をシンガポール→ボンベイに変えた。これで日本へ帰る切符がなくなってしまった事など気にもしなかった。金はある。船の出港日に合わせ今度はマレー半島を南下する。当時のフランス郵船(MM)では横浜ーマルセイユ間を「カンボジ号」「ベトナム号」「ラオス号」の3隻で往復させていた(記憶が確かなら?)。私はその3隻全てを利用した、シンガポールで下船する人達と入れ違いに乗船した私は来た時とは違い、話の輪の中心にいた。まがりなりにも数週間を東南アジアで過ごしたのだ、彼らは私の体験話に熱心に耳を傾けていたが、彼らの大部分はヨーロッパに行くんだし、帰りはシベリア鉄道か又MMで帰るという人達ばかりなので、私の話などさして役には立たなかったろう、時間潰しに聴いていたに過ぎないと思う。私もヒマな船の上でのちょうど良い時間潰しになった。

 この船に日本語を話すセイロン(現スリランカ)人が乗っていた、もしかしたら若き日のウィッキーさんかも知れない。彼はコロンボで下船したが、家に遊びに来ないかと言うのでお邪魔した。食事をしていけ、と言うので食べさせてもらった。どういう料理が出されたのか記憶にないが、ご飯に驚いた。一見赤飯を思わせる様な色だ、よく見ると唐辛子がまぶされているのか炊き込んであるのかと思われる。東南アジアで散々辛い物を食べてきたが、この辛さには参った、汗びっしょりになり食べた。あれは何だったんだろうか、本当にああいう料理があるんだろうか、まさかからかわれたとは思えないし、イランの大学芋(優雅な船旅を参照)同様、判る(知ってる)人がいたら知らせて欲しい。

出入国管理法違反
 

 ボンベイまでは平穏な船旅であった。相変わらずチーズは食べ放題だし、台風はないし、天気は素晴らしく、東南アジアの垢も疲れも消し飛んだようだ。ただ心配な事があった、インドではフィルムの持込制限があると聞いたことだ。かなりの数のフィルムを持っていたのである。数週間の放浪を経験したとはいえ、まだまだ純情(?)であった。ボンベイに着くと下船の手続きはしたが入国手続きは省いて、一時上陸みたいなふりをして港を出た。荷物はショルダーバッグ一つというのが幸い(?)したのだろう。次の日のこのこと、出港する船を見送りに港に行った。見送った後ブラブラ歩いていると、がっしりとした男2人が目の前に立った。ターバンを巻き立派な髭を持つシークの男だった。「アーユーミスターコジマ?」「イエス」、とたん2人に腕を捕られ連行されてしまった。近くの建物に連れ込まれた私は言われるまま椅子に座った。一体どうなるんだろう?まさかこのまま逮捕されて刑務所って事はないだろう、罰金か?「パスポートを出せ」、苛立ったような口調で向かいに座った男が言った。パスポートを見ながら色々質問口調で言うが、早口で私には解からない(ゆっくりでも解からないが)、通じない事が判ったのか、ブツブツ言いながらパスポートに判を押し何か書き込んでいる。それが終わるとパスポートを閉じて机の上に投げ出し、それを持って出て行けというような手振りをする。私は何か罰を受けるとばかり思っていたので、おそるおそる自分のパスポートに手を伸ばし開いてみると、なんとそこには入獄(変換間違い 正解は入国)スタンプが押してあるではないか。とたんニコニコになった私は足早にその部屋を出た。後ろから声が追いかけてきた、きっと「世話やかせんじゃないよ」とでも言ったんだろう。こうして無事一日遅れでインドに入国した。

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